若い頃、アイドルのアルバムを聴いたりしていた頃から一貫してポップスの曲のアレンジメントに関心が向いていました。
音の彩色を味わうとでも言いましょうか。
思い返せば、最初に音楽を真剣に聴き始めた八神純子のアレンジは松田聖子を手がけた大村雅朗でした。それからアイドルなんかでよく聴いていたのは山口百恵も手がけていて今も一線で活躍中という大御所の萩田光男(現・光雄)でした。この人の常に一線に居続ける力には頭が下がります。おそらくお人柄もよいのだと想像します。
さて、清水信之です。
私にとって思い入れのある編曲家が3人くらいいますが、その中でも一番です。
私の印象は、一時期だれにも真似できないすごい仕事をした編曲家というものです。
一緒にすごいことをしたシンガーソングライターはEPOです。
一緒に活動した期間が最も長くてしかも私が聴いた限りですが常によい仕事をしていたのは、大江千里とです。
それに続いて平松愛理などがいました。平松愛理との仕事は素の彼らしさが一番出ていたのかもしれません。
彼が平松愛理と良いコンビを組んでいた頃、サウンド&レコーディング・マガジン(だったかな?)に毎号インタビュー記事が載っていて、私は楽しみに読んでいました。もうその雑誌も手元にないので記憶が曖昧ですが、そこでEPOとの仕事について、「おまえもすごいが、おれもすごい」という感じだったと語っていました。
また、彼が一人でアルバム全曲をアレンジしたEPOの5枚目から7枚目まで、
『VITAMIN E・P・O』
『HI・TOUCH―HI・TECH』
『HARMONY』
について「もう二度とあんなすごいことは出来ないと思う」と語っています。
音作りの作業はEPOと協同での格闘・試行錯誤だったようです。もちろん編曲の主役は彼ですが。
今調べるとこの3枚のアルバムは彼が25才前後くらいの仕事のようです。
1985年発売の『HARMONY』のCDケースの裏側には彼のモノクロ写真に添えて、
NOBUYUKI SHIMIZU PLAYS “ALL” KEYBORDS, GUITARS, BASS, DRUMS AND MANY OTHER INSTRUMENTS!とあります。
普通、アルバムの写真に編曲家の顔写真など載せないでしょうが、それだけ彼の果たした役割が大きかったということなのでしょうね。
ここで私の感想を述べますと、まず、『HI・TOUCH―HI・TECH』2曲目の「赤い媚薬」と『HARMONY』2曲目の「YUYAMI NO STRUT」をそれぞれ始めて聴いたときに身震いする程感動しました。全身の毛がよだつ感じでした。上記の3枚よりも一つ前の『う・わ・さ・に・な・り・た・い』の最後におまけのように収録されている「JOEPO〜DOWN TOWN」のシンセベースとシンセドラムの組み合わせによるグルーブにも同じような感動をしました。
歌やメロディよりも音の組み合わせ、アレンジによってこんなに感動したというのは他にないかもしれません。
もちろん、この3枚のアルバムは他にもすごいアレンジの聴き所がそこここにあります。
当時、NHK FMの坂本龍一の番組にゲストとして呼ばれたことがありました(ひょっとしたら記憶違いかもしれませんのでお許しください)。大貫妙子のアレンジャーつながりということもあったのでしょう。しかし自身が一流のアレンジャーでもある坂本龍一も彼に興味を持っていた証拠でしょう。2人が何を話していたか全く覚えていませんが。ただ一つ、彼が坂本龍一に始めて会った頃は緊張していたと言っていたことのみ覚えています。
私は一ファンにすぎませんが、おそらくあの当時、日本の業界では清水信之は一目置かれる新星のような存在だったかもしれないと思っています。
EPOの上記3枚のうちのはじめの『VITAMIN E・P・O』は生演奏的な感じもありますが、あとの2枚は電気的な感じがします。この2枚は『HARMONY』の裏ジャケットに書いてあるように、オール・インストゥルメンツを彼がひとりでやっているのです。シンセを中心に。
彼もアレンジで参加した大貫妙子のアルバムで同じくアレンジの坂本龍一が、自分の担当した曲でギタリストとして清水信之を使ったこともあります。
キーボード使いのアレンジャーとしてシンセの音使いには特徴があります。あくまで聴いた感じで言っているのみですが。彼流のポップスができあがります。悪く言えば無骨な雰囲気かもしれません。曲の中で、不要な音は入れず必要なところに個性的な音色で構成していきます。抑揚があるというのでしょうか。そうです、個性的なのです。有力なポップスの編曲家というのは、欧米も含めてたいてい聴いてだれがアレンジしたかわかるような個性を持っていることが多いものです。
そんな点とも関係あるかもしれませんが、先に挙げた雑誌で彼は、自分でアレンジもやった方が良いシンガーソングライターは小田和正さんだけだ、と発言していました。昔の記事ですけれど。編曲家:小田和正としても認めていたということでしょう。また、自身の編曲に自信を持っていたからこその発言だとも言えるかもしれません。私も小田和正は本当にすごい音楽家だと思います。昔、オフコースの「Yes-No」のイントロからAメロに入るところのコード進行にすごく感動したことを覚えています。現在も音色だけで彼の編曲だとわかりますよね。
先ほどからあげているEPOの3枚以後も彼のアレンジで「音楽のような風」など素晴らしいものがあります。この曲の編曲も傑作だと思います。なんと爽快なのでしょうか。
しかしEPOはだんだん彼から離れていきます。なぜかと問われると、EPOは、「(彼は)千里君なんかもやってるでしょ」、と答えていました。
「音楽のような風」と同じアルバムに収録されている他の人が編曲した、「12月のエイプリル・フール」の編曲もすごく素晴らしいです。すべて良いですが特に高域の弦のアレンジに感動します。私の知っている限りでは、EPOの曲はだれが編曲しても魅力的なものになるような印象があります。少しでも気に入らないところがなくなると言いましょうか。センスがあるのでしょう。アレンジャーの力を引き出すことがうまいということかもしれません。
大江千里のアルバムも私は枚数は少ないですがよく聴きます。まずレコーディングに時間とお金をしっかりかけていた感じを受けます。そうするとEPOとの作業でなくても彼のすばらしさがわかります。音の彩色の楽しみがあります。彼もかなり力を入れていたのがうかがえます。大江千里のライブにもレギュラーでキーボードプレーヤー兼アレンジャーとして参加していたようですし。残念ながら大江千里は2007年くらいに活動休止(ジャズの勉強のため渡米)でこのコンビの仕事が聴けなくなってしまいました。
私は今はポップスの現況についていっていないので、清水信之が現在どんな仕事をしているのかわかりません。ここ何年かはやってすぐの仕事を聴くこともできていません。
今彼は50代前半の年齢のはずですからまだ活躍してほしいです。いつまでも通用するアレンジャーとして。あまりさみしいことは言ってはいけませんが、仮に彼の仕事があの当時のものだけだったとしても日本のポップスの編曲家として名を残すことでしょう。
少なくとも私にとっては一番のアレンジャーです。
清水信之はまだこれからだと思いたい!と言いますか、今の彼の編曲が聴きたいです。